Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
美術教師です。同意見です。座学も必要だと思います。鑑賞の仕方、基礎知識は教えないと鑑賞する力はつかないです。実技にしても個性個性と言って、教えない教育になってる。プラモデルを買って与えてるようなものです。実技も基礎からしっかり教えるべきです。美術室に絵画が飾られてないのは残念ながら予算の関係ですね。名画のコピーがなかなか高いんですよ。数万円しちゃう…なので1枚や2枚飾っても仕方ないので…部活の作品なんかを飾ったりして誤魔化しちゃいますね。ほんとは名画を飾って少しでも近い距離感で見せてあげたいんですけどね。幸い今はパソコンがあるので、昔の子どもよりはまだマシですね。ネットで鮮明な画像を好きなサイズ感で見たり、ズームしたりできますからね。自分たちが子ども時代は教科書に少しだけ載ってる絵画が知識のすべてでした。大学に入るまでほとんど知りませんでした。ラファエロすら知りませんでした。酷いですよね…自分は最低限常識的な美術の歴史は教えてあげたいと思います。そこから興味を持ってくれたら、自分で美術館に行こうとする人も出てくるはず…
美術を生業にしています。美術の売買ですが、いまヤフオクとかで作者も分からない売買が行われてます。それは本当に その絵が好きがどうかの世界でたまに高値も付きます。逆に高校生でも買える値段のものもあります。日本画も油絵もあります。カレーと一緒でアートは全員好きだとしても全員の同意は不可能です。あなたのお気に入りがベストです。誰の同意もいらないです。ぜひ自分だけの名画を探してほしいですね。
「油絵の描き方を教えない」って、まったくその通りですね。ボクも高校の授業で美術を選択したけど、教えてもらえなかった。そもそも生徒が油絵に興味があるかわからない。水彩画が好きなら、それを極めればいい。そのへんが集団教育の限界なのかな。だったら、実技はやめて、美術史の教育に全部の時間を使うのも、1つの方法ですね。
五郎さんの絵に対しての考えに非常に共鳴します。フィンランドに住んで49年で画家としては食べて行けませんでしたが、ある会社でエンジニアとして働いてきて定年退職でまた今絵を描いています。大体どこの画廊度も版画がかなり安く(昔日本にも版画が安く売っていましたが)大体誰でも買える値段だと思いますが? また五郎さん曰く誰でも好きなものがその人にとっての芸術なのですね。別に権威者が断定した物が素晴らしい物ではなく、各個人が共鳴した物が其の人にとっての唯一の大事な芸術なのですと思います。😄
全く同感です!!! 絵画の歴史背景や系譜や技法や主題の知識に関心を持たないし教えもしないで、理解は不要、感性だけでよしとする日本。科学技術立国なら、あらゆることを背景や歴史から多方向・多面的に理解しようという姿勢があっていいはずですよね。漫才でもスポーツでもそういう奥行きのある理解や解説や議論や楽しみ方があってもいいのに。同じことが音楽でも言えそうで、歴史背景や地域性や民族性を無視して、思考停止して「音楽に国境はない」とかの決まり文句で一括りにするのは嫌ですね。五郎さんのファンです。
五郎さんのお話しは言葉遣いが綺麗で柔軟なところが心地良いです。若い頃からの幅広い興味が博学につながってとても楽しく拝聴しています。♥️博物館美術館巡り大好きです。一日ゆっくり訪ねます。♥️
かしこまった画廊でなくても、古民家リフォームして複数人でシェアした雑貨の中に店主の絵も売ってて、それを気に入ったのなら、それは立派なアートです。ある大学の学園祭で美術部の学生が描いた絵を売ってもらって、20年以上経った今でも部屋に掛けてます。
オーストラリアで画廊をやっている日本人の知り合いが、あちらでは画廊に家族連れでやってきて、子供の誕生日のプレゼントを子供自身に選ばせたりすると言っていました。日本では考えられない光景で、ビックリしました。絵画教育が家庭教育からして違いますね。
すみません。私はオーストラリアに半年住みましたが、私の周りにはそんな高尚な家庭の人は居ませんでした😅きっとそれはオーストラリアだから、日本だからという問題ではなく、日本にもきっと(稀に)そういう家庭もあるし、オーストラリアにも、中にはそういう家庭もある。そういう話なんだと思います😅
美術史の授業って、確かに小中高時代に全く美術の先生はやってくれなかったけど、高校の歴史の先生が日本の近代化の時代背景を日本美術史を使って説明してくれて歴史も美術も好きになったなあ。
焼き物とか、服とか、個人の好みで買っているんだし、自分で買える範囲で好みを買うっていうのがアートと関わるって事だと思います。好き嫌いはやっているじゃなく、自分が好きと思えることを主張できるのが美術の世界だし,生活にそれを取り入れるって事だと思います。ポスター飼ったり、杯やグラスにこだわったりするのもいっしょだっておもわないと、そこから先が無いと思います。
美術品を投機目的ではなくて、純粋に愛でたりする事を、より自然に出来る文化が足りないんじゃないのかな?
投機目的がダメという発想自体がアウトなんですよね。純粋に自然に愛でることが正義だと思い込んできたのが今の日本のアートシーン。マーケティングや投機の要素は今や切っても切り離せない。
@@optimisticboy8603 投機目的のお金が動くと「純粋な心が壊される」という発想が間違い(を含む)のは同意だが、ただビジネスを通じて接する美術品に心を打たれる機会なんてめったにないのも大半の人には事実ではないでしょうか? ほんとうに価値理の高い美術品は投機マネーも追いつかないくらいいつも先にある、という意味で解さないと、それこそ意味が無い感じかします。
チコちゃんでやってましたが、音楽室に作曲家の肖像画があるのは、楽器メーカーだかが、学校に音楽家の肖像画が入ったカレンダーを毎年配布してて、それが好評で音楽の先生が日付部分を切り落として、肖像画部分を音楽室に貼り始めたそうです。好評だから毎年作曲家の肖像画のカレンダーを配布するようになったと。音楽教師が音楽教育のために何か役立つ物は無いかと勘案して貼りだした、というような代物では無いのです。上記の企業戦略が無かったら、今も音楽室には何も貼り出されてはいなかったハズ。
山田さんの苛立ちが伝わってきます。
私が通った学校では美術館に行く事はありました。絵画技法も教えてもらったので、いい方だったのかな〜と思ってます。(教育モデル校だったからかな、ゆとりも早かったし)
子どもは美術館の入場は無料なのでよく連れて行きました。西洋美術館は大好きだそうです。世の中のお母さんお父さんはこどもとぜひ行ってほしい。子供向けの冊子も配布されてます。
旅行に出かけて絵葉書を買う時に、写真ではなくて、誰かが書いた風景画が大好きです。そういう絵を一生懸命探してます。海外だと結構多いんですけどね。描いた人が直接売っていたりすると、興奮してしまいます。あれもアートですよね。
程度の差こそあれですよね!でも、ご自身が、良いと思えば、何でもいいんですよ😅身
ー😊ー😊
学校で絵を見に行く話で思い出しましたが、シカゴ美術館でカイユボットの大きな絵(パリの通り、雨の日)にたくさん座っていて説明を聞いてました。館内は明るくて、おしゃべりも自由で、ボランティアの説明員が沢山いて、私にもフレンドリーに話しかけて説明してくれます。その時ホッパーのナイトホークスを見ていたのですが、名前はフーパーと言うのだと教えてくれました。
美術の授業で美術館に行くのは本当にやっていただきたいです。せっかく本物があるのに利用しないのは勿体無いです。公共の美術館ならなおさら。
「演劇鑑賞」を校外でやらない理由と同じ「現実的な問題」がある。「演劇鑑賞」を小学生が校外の劇場でやろうとしても「演劇に興味を持たず、さわいだりしてクレーム」で大問題。したがって「演劇鑑賞は校内で」という歴史がありますが、美術館なんて、中学生以降はともかく、小学生がおとなしく見るわけがない。中学生以降も公立校(非高偏差値校)だったらあやしい
浮世絵も陶器の梱包材として使われるぐらいだったんだし(後の美術品)、肩肘張らずとも漫画(客観的観点からも大英博物館で展示とかもされたし)やキャラクターグッズもアートでいいんじゃないかなあ。あといくらいいものでも「認知」されないと誰も買えないよ。
素晴らしいです。今に裏紙に手書きの資料がオークションに出るかも!ただただ、五郎さんリスペクト!
片付け大切ですね。仕事柄お手伝いしたくなります。
阿刀田高さんの本を読めばキリスト教もギリシャ神話も、ホメロスも、色々わかりやすく読めます。
既に、50年以上前の話ですが、美術の粟田先生が、OHP (OVER HEAD PROJECTER; 透過型ではなくて反射型)を購入する予算を獲得して、一度だけ、美術画集を紹介してくれたことが有りました。一回だけ。 ーーー 岐阜大学教育学部附属中学校
通っていた小学校は職員室や図書室がある棟に沢山絵がありました。また見たい、どんな絵だったかな?と思うんですが、入れませんねー!!!悔しい!
音楽もそうですね。歴史や文化、それこそ絵画なんて何も知らずにみんな弾いています。いや、それどころか作曲家の人生についても誌面の都合で省略されたプログラムノートの斜め読みで知った気になってる人はいっぱいいます。
昔々芸能人の絵画展で安達祐実さんの「秋刀魚」に惹かれたなぁ美味しそうでした
英語の授業は、ドキュメントを読めるようにするという意味では凄く良い教育だと思う。プログラマやってると痛感する。
見て聞いて、何が刺さるかは人それぞれ。刺さったあとに、それをより知るための道は、ネットでの検索や質問もあるだろうけど、書籍かなと思う。(書籍は 当然に出版後のことを知らずに書かれている ー マイルド化前の童話のようなものも見つかるかも)
英語、美術、ついでに音楽も同じだと思う。勉強が必要なのは楽団に入る時に楽器を学ぶのでしょう。音楽を生業にする人は少ないのにね。
難しい用語や評論を前にするとどうしても構えてしまうけれど、基本美術は楽しいものだと思うので、人それぞれ自分のペースで鑑賞したり制作したりする方が、美術の世界はより広がると思う。ルソーみたいな生き方が理想。
公立の市立中学校で、1/3くらい座学で、期末テストが難しかったのはやはり例外的だったのですね。そして、奈良京都への修学旅行前はずっと座学でした。仏像とか伽藍配置とか。。確かに高校はひたすらほぼ実技でしたね。実技も、高校の方が緩かったです笑 たまげた記憶があります。バンクシーってわけわからん人ってイメージでしたが、意外と優等生というか堅実なのですね。
お休みなので 昔のアニメ 銀河鉄道の夜(原作宮沢賢治) を 見ております。作品の背景に 強く ルソ-や ゴッホのリスペクトを感じます。一つのリンゴを皆に分けたりするのは 聖書のパンのお話の オマ-ジュで、タイタニックの乗客だった 親子の話し(この鉄道に乗ったものはすべて天に召されるので) に出てくる 讃美歌320(主よみもとにちかずかん)は 沈むまでの時間を 楽団が演奏していた 曲であることを 示しておりました。 賢治の時代 元ネタを 知っていた人は 少ないので たしかに 人気が なかったかも しれませんね。 作者が妹さんをなくしてしまった 体験も 永訣の朝 と 同じく 書く 原点になっているかもしれません。
五郎さんの書斎(書庫)がみうらさんの事務所(倉庫)になってしまいそうで心配です 笑 文字起こし機能を使うと書く手間が省けそうですが書くことで想起されることも多いので無理のない範囲で続けて欲しいです。切り抜きさんも増えて新たな視点で既存の104作を鑑賞してますので更新ペースを落としてもバレないと思います 笑笑
一般人です。美しいとか、凄いなとか、この絵なんだか好きで、鑑賞と、いうか、見ます。私は絵を少し描くので、どういう風に筆を置いてるかとか、色は何でこの色をぶつけるのかとか、見ています。邪道ですかね?
@@いず-k8g 私への質問なのか定かではないのですが…。私的には芸術は個々の感性に任せ楽しむものだと思っています。訪れた美術館や博物館では無名でも好きな作品に目が留まります。中学生の写生会で友人が地面に灰色を乗せていたので驚きましたが茶系より地面らしく見え、才能がある人にはこんな風に見えているのかと芸術家への理解が少し上がったのを思い出します。いずさん、絵が描けるなんて素敵ですね。唯一無二な感性や才能を大切にしてください✨
吾郎さんのチャンネルいつも楽しみにさせてもらってます。てか切り抜きなのに1:13:13の長時間で盛りだくさんのところいいですね。ただ「描くのは学校出てからでできるんだから」には異議を持ちました。日本の学校はよく言えば(好意的にとれば)「子どもの時しか」「学校でしかできないこと」を優先させています。「実技偏重」なのは、実技は原則学校(のようなところ)でしか出来ないからです。最近のダンス必修も表向きの理由はそれです。この辺は、趣旨を理解した上で批判なり意見を述べてほしいところです
日本は長年美術という概念の伝統がないから仕方がないのかもですが、美術に代表される文化とは守り育てねばいけない、掛け替えのないモノであるという意識が希薄なように思えます。五郎さんのように個人で優れた方はいても、国や国民という大きな単位で見ると暗澹とした気持ちになります。山田玲司先生が「拝金主義になっちゃったのに金がない国」と評していたのは悲しい真実ではないかと。
ブルフィンチの 9:19 ギリシャ神話も、その目的で編まれてますね
7:07 スカイフォールでは、2010年に実際に盗まれたモディリアーニの絵も登場しますよね。
コンセプト「コンセプトがない」がコンセプトです!!って言ったらおちるのかな……トーハク150周年記念国宝全展示しましたけどつまりあれは年末だから今年はもしや国宝が見られない博物館になってしまう??刀なんて全期展示でしたし……
13:40~ 美術品の価値がわからなければ、価格や世間の評価で判断するでしょうね。まあ、一般の人たちは大体そうでしょうが、それを変えるのは、こういう動画や美術教育なのでしょう。ちなみに、私の子供時代は、写実が上手いことが「絵が上手い最重要要件」でした。
アートだけでなく、事業も一緒かなと思いました。過去〜現在に至る背景理解なく提案されても、却下になるケースが多いのでは?と思いました。し、ビジネススクールでも行かないと、ケーススタディなどの教育もまずないのかなと。
アートのコンセプト。フランス料理の世界と一緒の悩みですね。
美術館のみならず、西洋の美術観と日本のそれとでは、ドダイ違うのでは。偶々、ヨーロッパでジャポニズムが流行ったからといって、それは、西欧の文脈の中での話しですね。今の絵画のアニメ化をどうお考えかお聴きしたいところです。
デザインフェスタはアートに含まれないんですかね?絵画やってる人いるけど出すところがアート関連じゃないからと言われたらどうしよう?
解答を死とする問い。作者は描いて問い、鑑賞者は作者に問う、時空を超えたコミュニケーション。何を問う?が、例えばこの動画。疑問から賛嘆まで。問う心が生きること。解答が死とは、問いを失うから。作品は貴方に問う。ここに問われる喜びがあり、作品に触れる喜びとなる。芸術の種は、人間にはただ唸りたい時があるから。唸れば良い。または新しい驚きや話題によるひとつの認知欲求ではないでしょうか。非言語的な純粋感覚のコミュニケーション。「もしもし、謎々の時間です」に子供は喜び輝く。
仙台市在住です。小さな個人の美術館 中本誠司現代美術館で「15×15」みんなの展覧会が行われてます。誰でもハガキ大の作品を二千円で出品し名前なしで出品、購入も二千円、その収益は美術館の維持に充てるという企画です。
美術館博物館は貸し切り状態のガラガラの方が好きなので自治体主催協賛社の村おこしも分かりますが神社仏閣で拝観料お賽銭をしない人は居ないと思います 子供以外絵画の歴史くらい写真映画TVネットと同じ主旨の先祖くらいの義務教育での説明は有ってもよかったと思うピカソとモナリザと雪舟の鼠しか思い出せない美術の時間はお絵描きリラックスタイムでよかったけど高校生には美術史のいろはくらいしてもらいたかったね~正味
まず、絵画を飾る壁がない=スペースがない。住環境とも関係しているのかもしれない。
五郎さんがいつも怒られている人だと良くわかりました🎉😊
新築はデザインしちゃうから絵が必要ない賃貸は壁を傷つけちゃダメだから飾れない
デザインフェスタ、中野ブロードウェイとかいけばいくらでもあります
アートか 盆栽とおなじだな。何百万もする五葉松もありゃあ、この間夜店でかった三百円のヒョロヒョロの紅葉。スゲー様子がいいぜ。盆栽にコンセプトは無い!
小学校にはいるまえかな?65年くらい前かなお絵かき習ってたけど、点描は自然にしてましたね。ただ水彩でね、好きだったけどちょっとはデッサンの基礎とか油彩の基礎とか教えて欲しかったな。兄は油彩教えてもらってたから80近くになっても趣味でかけるけどデッサンは練習すればうまくなるけどガッシュとかは楽しんでるけど油彩もやりたいですね。父母は日本画描いてたけど若くに亡くなったからほぼ教えてもらってないな。
私はたまたまベルリンで個展とグループ展をやりましたがどこの馬の骨ともわからない自分の作品を買っていきましたしなんと子供が親と一緒に来て自分の小遣いであなたの作品をコレクションしたいからまけてくれないかと言われいいよと言って小さい作品を買っていき一緒に来た友達もぼくはコレが欲しいと言って買っていきました 英語も一緒です ただの言葉ですから喋れても偉くもすごくもなんでもありません
1:09:15視聴率不払い運動ですか?視聴料未払い問題なのかなどっちでしょう。
素敵と思えば、それが全て!自分の感性を値段で、評価しないでさ、素敵か否か、だと思う。金銭的に評価しないで自分の心をのっくするかしないかでいいんじゃない?!あなたの買った作品は、あなたが死んだぁと、価値が出るかもよ…でも、死んだ自分にはほとんど価値はないんだよ!生きてるうち、生活が豊かになれば、その絵はそれで十分だと思います。わたしにとってどうなの?この絵は?ってことなんじゃないかな?
1:12:20 ジム・ブロードベントがハリポタで演ってたのは「ホラス・スラグホーン」役でしたかね?
言葉と同じように人間にprimitive なら若い頃に絵を描く経験は大事と思います。なくても良いは言い過ぎです。大人になってから描くのとも違うでしょう。
グラフィティーライターやタトゥーアーティストが描いてる絵も買えるし、若い画家さん・学生さんの絵も買えるし、有名人の絵だけがアートではないと思う。どちらかと言うとそれらの作品と一般社会の人達との接点がなさ過ぎると思うし、欲しいと思ってる人も有名でないものを自分の感性で探して買って飾る、っていう習慣をまず作るべきかなと。
美術館(博物館)の学芸員の待遇改善も必要。日本の富裕層の美術や芸術の知識や作品の所蔵の価値が高く評価されていないので、日本でアート界が盛り上がるとは思えない。行政からの支援金主導の、観光行政やまちおこしと結びついたアート展ばっか。賢いコンサルの仕掛けた罠が、今の日本に丁度マッチングしているね。
ゲームの世界でもランスロットとかミカエルとかガブリエルとか出てくるんだけど、西洋の神話の歴史とか知らないとただ単にそういう名前の人で終わっちゃうよね。
東京芸大の教員は最先端の実技家や研究者(=評価できる人)が多数と想像しています(古典芸能でも)。他と違い傑出するために、現在(デュシャン以降と断言)ではコンセプト(の提示)がもっとも重要で、それを叩き込むのは今の専門教育で当然に思います。おそらく入学試験では表現技術を重視しているのでしょう、前段階がどれほど知るために。
日本の場合、家に絵画を飾るスペースがある人が少ないのではないかと思う…応接間のない家も多いし
2023/02/20から個展しますが、 いらして下さいませ。
現代美術の見方は権能から神を作る手法が使えそうだな。ホントはちょっと違うんだが例として「主神」「天空」の権能(美術的にはテーマかな)を日本人が見れば、文化的に「アマテラス」様になり古代ギリシャ人が見れば「ゼウス」みたいなもんかなあ。同じ権能でも文化伝統の下地の影響で全く別の姿が作り出されるという。言葉で説明するの難しい。
博物館の展示についてはスペースの問題もあるんじゃないですかねぇ。全部を展示するわけにはいかんし。展示保存の機材は予算がねぇ…。
やっぱり見る目を肥やす教育が大事
写実が拙い作家が印象の象徴の表現のって、既に名のある作家の技法の模倣で日本の○○とか✕✕と持ち上げて大家に祭り上げてきたのが我が国の作家評価の主流でした。細密や写実は職人仕事で芸術ではないと蔑まれていましたし教育もそれに準じていました。中高時代(昭和期)共に団塊世代の教師は新旧訳の聖書の内容も知りませんでしたが、教本の内容を講義して、宗教主題は大衆の識字と知識が低かった時代の産物と切って捨てました。好きな画家を問われスルバランと答えたら露骨に嘲笑されました、特にいません、が無難な回答でした。
抑々何故美術芸術は制作され展示され鑑賞され売買されるのか。抑々何故それを美術芸術と捉え扱うのか自体を多方面多方向から捉えていない気さえする。美術芸術文化の役割機能自体を必ずしも十分に把握し捉えてるとも思えずにいます。歴史認識の成立と展開、それを踏まえているからこその文脈の成立と受容と展開とも思えるものの、その成立とはかけ離れている気もします。コンセプトは、孕んでこそのコンセプト。技術あってこそと、表現してこそ、それぞれの噛み合わない価値基準がある。価値観の成立が如何に捉え受容するのか自体が振り幅がある。その振り幅自体を十分に捉えきれていない気さえします。
文化庁長官て今、狙い撃ち 作曲者の都倉さんですよね ゴローさんを顧問に据えればいいのに…
上野文化会館に区内の小学生高学年あつめて東フィルだかなんかの演奏は聞いたことありますが、上野いくならなんでトーハクに行かなかったのかわからない。科博は行ったのに。しかも日本では美術館で話をするとおこられるのが、納得できない。ぎゃ~ぎゃ~騒いでるんじゃなく、感想をいいあってて、ちょっとエキサイトして大きめになるとすぐ注意されるし…めんどいから基本一人でいきます。たとえば一日小学生に開放して、ボランティアの美大生とかに説明してもらうとか、やればいいのに…。意外な質問で、美大生も発見あるかもしれない。
枯れた立ち姿の宮本武蔵は、法隆寺の心柱!柔構造の建物と侍の技は同じ。無表情は無拍子、無足。阿吽の呼吸とラテン音楽のベンベクラーベのウンカッカは、同質
見せたくない!わかります。神社とかでもそうですもんね。酷いと何年に1回目御開帳とか言って。価値持たそうとしてるんですかね?だから興味がその時だけで浅くなっちゃうんですよ。
美術作品/高いもの/買えるもの…関東地方に赴任していた公務員家族が京の都に帰る。その家族の娘が書いた日記に「自分で彫った仏像に、物語がほしい と願っていた」という話があったと思うが(「更級日記」だったかな?)
音楽では20世紀に入って調性から解放されて12の音をフル活用するようになりましたが、それもすぐに使い果たしました。美術でも可視光線のスペクトルと具象の構図を使い果たしたのでしょう。だからコンセプトを求めるようになったのでは?でも美的モードも時々刻々と変化していて若手の作家さん達が瑞々しい「今」の具象作品を発表し続けています。時々、庶民でも購入可能な若手の作家も取り上げては如何でしょう?
なんだぁ〜! 切り抜きだから、もう1年以上前なのね?映画見れないよ。。。
エンタメや商品は教育の対象にならないってことなのかな
アート売買での収益を非課税にするだけで富裕層が資産として飛びつくので日本のアート市場は活況します(^^)
We have a market by artists in the square at weekends. You have to purchase a stall fee to open your stall.
絵画の本質は情報だ。ドガの踊り子が中野氏曰く怖い絵。それはその時代の記録がしっかり描かれているから。20世紀の絵は全て時代のアダバナ。21世紀は花を咲かせない。トホホ。最終的に技術は裏切らない。名言だ。
英語と美術は同感します。クイーンイングリッシを教えて美術は浮き世を蔑んだ教育に疑問を感じます。
・・ショーン・コネリー以外のボンド中佐って・・ありえないww (*´∀`*)
観る教育、確かに。確かに足りてないわ。
60年前の話ですが、昔の美術の先生とかは、エロだからそういう話は自分でやってくれ!って方々が多かったようなw
価値=金なんでもホニャララ団の影響もあるかも
文化庁長官ってことは、素人ですね。展示によって痛む可能性はものによって違うんだから、一律に日数で制限するなんて愚か。
蚤の市がないのが日本の問題か
吾郎さんの説明ってすごく分かり易くって、面白いのでいつも楽しく見させてもらってます。ただ、一つだけちょっと?と思うのは、アートは文脈に則ってないとダメってよく言われてますが、アートの場合は文脈は後から勝手に市場経済に基づいて付いてくるものです。グラフィティーは無数のいたずら書きが、都市景観を汚す悪者として問題視され、やがて、街を賑やかに飾る壁画アートと認識され始め、今は、バンクシーによってメッセージ性のある落書きというアート的文脈が付与された。最初からアートの文脈には載っていなかったものがやがて文脈に乗ってくる。つまり、文脈は後付けなのです。アートは文脈に則ってないとダメって言っちゃうとあまり文脈から逸脱しない、文脈を考えて当たり障りのない物しかできない。完全に文脈に沿わない、新しい実験的価値観を創造するのは難しくなっちゃうし、アートが縁遠く市民生活とかけ離れてしまうと思う。作品を作る上で売り方まで考えて文脈と言っておられるとは思いますが、発表したり売る努力はしないといけないとは思いますが、それができないと、否定的なダメとは思いません。時間はかかると思いますが、、、アートという範疇は、後付けで拡大解釈され勝手に後から付いてくるのだから、、真面目な顔で、アートは文脈に則ってないとダメって言ってはダメでしょ。
戦艦はテメレール
聖書やギリシャ神話の逸話って学校で教わらなくても自分から求めてたもんだけどなぁ。知らないと恥ずかしいからなんだけど。だって知らないと???ってなることだらけなんだよこの世の中って。
芥川賞作家先生の回で、せめてブルフィンチ位は読んどけよなって思いませんでした?
美大出身なので一般人がすぐアートアート言う事に心底辟易します。素晴らしい芸術は必ず技法と歴史を踏まえており過去の作品を超越するから素晴らしいのです。絵が描けるというのは最低限必要な能力でそこに作家の論理と視座と文脈が現代美術を理解する上で必要です。それを鑑賞者が理解するためには過去の美術作品を沢山見て社会を観察して常にインプットしておく必要があると思います。私は美術作品を見る事は最もコスパの高いエンタメだと思っています。美術鑑賞は長いこと心に残り数年後答えが分かったりします。1000円程度払えば好きなだけ鑑賞出来て数年に渡り楽しめます。こんなにコスパの良いエンタメないっすよ。
なんか、うるさい!この人!
今時1000円は大金。絵を見るのに金をかけるべきでな無い。ネットで只で観て充分満足出来る。
アートってそんな構えるものですかね?外科の世界でアートって使いますが、ちょっと意味が違いますね
冒頭の一行が余計なんだけど、そこが本音なんだろうなぁ。何だよ「一般人」って。君は何人なの? 「俺は分かってる特別な人」だとでも?言ってること全部否定する気もないけど、そんな狭い了見をもって文化全般の定義を勝手に語らないでほしいよね。
@@ymsksny少なくとも美術においては私たちが一般人で彼ら美術学生がその対になる者でしょう。それは間違いなく正しい。
2:00
「なんだろ・・この・・・無駄さ加減」。今時の美術館のイアフォンで聞く解説にそんなのありません? 以前は絵画の脇の長ーい説明文をしっかり読んで、チラッと作品を見て過ぎて行く人が結構多くて、「何を見に来たんだろ?」と不思議です。
目垢😂
良くアートのイベントやってますから、デザ〇ンフェスタとかで学生も手軽に手にすることができると思う。
質問のアシスタントさん(?)が今回はちょっと、あれ~で。ごめん🙏せっかくの五郎さんのいいご説明が引き出されず残念。ちょっと一般的な基本的知識が欠如。男性の方。ワダさんはいつもそういうキャラで言葉少なでいいのですが。男性の方、饒舌なわりにかなりモヤりますわ。ファンとして聴く方としては。すみません。単なる感想です。
この番組のスタッフは絶望的にアートと縁遠い人たちなんだね。あ~とか、う~とかのリアクションしかない人たちと五郎さんが必死に会話しようとしているのが哀れに見えてくる。
わたしは山下達郎と小椋佳は思わず「詐欺師!」と叫んだ。😮わかんねえだろうなあ…。
フーン…ってw少しは自分で考えて自分で調べれば?チョット聞いててイラッとします。人任せで知りたいってwそれは興味がないんじゃんww
どこか教育が悪い、政府が悪いとか他人の所為にしてばかりに感じる。方法論としては間違いではないがそれが一番日本の文化が一般に馴染まない原因では無いか?もっともっと色々な本を読んで人生を豊かにすればいいと思う。美術のチャンネルだが幅広く読書をして知識の幅を拡げることが大事だと思う。面白くない?アニメだって主人公とか武器のネーミングとかは色々な神話伝説から取られているものは沢山ありますよ。
オイ!五郎!、アートに関しては、最低でも東京芸大か、最悪愛知芸大を卒業してから喋ってくれよ!、上智卒ってなに?てめえ其の学歴で芸術云々抜かすのか!
美術教師です。同意見です。
座学も必要だと思います。鑑賞の仕方、基礎知識は教えないと鑑賞する力はつかないです。
実技にしても個性個性と言って、教えない教育になってる。プラモデルを買って与えてるようなものです。
実技も基礎からしっかり教えるべきです。
美術室に絵画が飾られてないのは残念ながら予算の関係ですね。名画のコピーがなかなか高いんですよ。数万円しちゃう…なので1枚や2枚飾っても仕方ないので…部活の作品なんかを飾ったりして誤魔化しちゃいますね。
ほんとは名画を飾って少しでも近い距離感で見せてあげたいんですけどね。
幸い今はパソコンがあるので、昔の子どもよりはまだマシですね。ネットで鮮明な画像を好きなサイズ感で見たり、ズームしたりできますからね。
自分たちが子ども時代は教科書に少しだけ載ってる絵画が知識のすべてでした。大学に入るまでほとんど知りませんでした。ラファエロすら知りませんでした。
酷いですよね…
自分は最低限常識的な美術の歴史は教えてあげたいと思います。
そこから興味を持ってくれたら、自分で美術館に行こうとする人も出てくるはず…
美術を生業にしています。美術の売買ですが、いまヤフオクとかで作者も分からない売買が行われてます。それは本当に その絵が好きがどうかの世界でたまに高値も付きます。逆に高校生でも買える値段のものもあります。日本画も油絵もあります。カレーと一緒でアートは全員好きだとしても全員の同意は不可能です。あなたのお気に入りがベストです。誰の同意もいらないです。ぜひ自分だけの名画を探してほしいですね。
「油絵の描き方を教えない」って、まったくその通りですね。ボクも高校の授業で美術を選択したけど、教えてもらえなかった。そもそも生徒が油絵に興味があるかわからない。水彩画が好きなら、それを極めればいい。そのへんが集団教育の限界なのかな。だったら、実技はやめて、美術史の教育に全部の時間を使うのも、1つの方法ですね。
五郎さんの絵に対しての考えに非常に共鳴します。フィンランドに住んで49年で画家としては食べて行けませんでしたが、ある会社でエンジニアとして働いてきて定年退職でまた今絵を描いています。大体どこの画廊度も版画がかなり安く(昔日本にも版画が安く売っていましたが)大体誰でも買える値段だと思いますが? また五郎さん曰く誰でも好きなものがその人にとっての芸術なのですね。別に権威者が断定した物が素晴らしい物ではなく、各個人が共鳴した物が其の人にとっての唯一の大事な芸術なのですと思います。😄
全く同感です!!! 絵画の歴史背景や系譜や技法や主題の知識に関心を持たないし教えもしないで、理解は不要、感性だけでよしとする日本。科学技術立国なら、あらゆることを背景や歴史から多方向・多面的に理解しようという姿勢があっていいはずですよね。漫才でもスポーツでもそういう奥行きのある理解や解説や議論や楽しみ方があってもいいのに。同じことが音楽でも言えそうで、歴史背景や地域性や民族性を無視して、思考停止して「音楽に国境はない」とかの決まり文句で一括りにするのは嫌ですね。五郎さんのファンです。
五郎さんのお話しは言葉遣いが綺麗で柔軟なところが心地良いです。若い頃からの幅広い興味が博学につながってとても楽しく拝聴しています。♥️博物館美術館巡り大好きです。一日ゆっくり訪ねます。♥️
かしこまった画廊でなくても、古民家リフォームして複数人でシェアした雑貨の中に店主の絵も売ってて、それを気に入ったのなら、それは立派なアートです。ある大学の学園祭で美術部の学生が描いた絵を売ってもらって、20年以上経った今でも部屋に掛けてます。
オーストラリアで画廊をやっている日本人の知り合いが、あちらでは画廊に家族連れでやってきて、子供の誕生日のプレゼントを子供自身に選ばせたりすると言っていました。日本では考えられない光景で、ビックリしました。絵画教育が家庭教育からして違いますね。
すみません。私はオーストラリアに半年住みましたが、私の周りにはそんな高尚な家庭の人は居ませんでした😅
きっとそれはオーストラリアだから、日本だからという問題ではなく、
日本にもきっと(稀に)そういう家庭もあるし、オーストラリアにも、中にはそういう家庭もある。
そういう話なんだと思います😅
美術史の授業って、確かに小中高時代に全く美術の先生はやってくれなかったけど、高校の歴史の先生が日本の近代化の時代背景を日本美術史を使って説明してくれて歴史も美術も好きになったなあ。
焼き物とか、服とか、個人の好みで買っているんだし、自分で買える範囲で好みを買うっていうのがアートと関わるって事だと思います。
好き嫌いはやっているじゃなく、自分が好きと思えることを主張できるのが美術の世界だし,生活にそれを取り入れるって事だと思います。
ポスター飼ったり、杯やグラスにこだわったりするのもいっしょだっておもわないと、そこから先が無いと思います。
美術品を投機目的ではなくて、純粋に愛でたりする事を、より自然に出来る文化が足りないんじゃないのかな?
投機目的がダメという発想自体がアウトなんですよね。純粋に自然に愛でることが正義だと思い込んできたのが今の日本のアートシーン。マーケティングや投機の要素は今や切っても切り離せない。
@@optimisticboy8603
投機目的のお金が動くと「純粋な心が壊される」という発想が間違い(を含む)
のは同意だが、ただビジネスを通じて接する美術品に心を打たれる機会なんて
めったにないのも大半の人には事実ではないでしょうか?
ほんとうに価値理の高い美術品は投機マネーも追いつかないくらいいつも
先にある、という意味で解さないと、それこそ意味が無い感じかします。
チコちゃんでやってましたが、音楽室に作曲家の肖像画があるのは、楽器メーカー
だかが、学校に音楽家の肖像画が入ったカレンダーを毎年配布してて、それが好評
で音楽の先生が日付部分を切り落として、肖像画部分を音楽室に貼り始めたそうです。
好評だから毎年作曲家の肖像画のカレンダーを配布するようになったと。
音楽教師が音楽教育のために何か役立つ物は無いかと勘案して貼りだした、
というような代物では無いのです。上記の企業戦略が無かったら、今も音楽室には
何も貼り出されてはいなかったハズ。
山田さんの苛立ちが伝わってきます。
私が通った学校では美術館に行く事はありました。絵画技法も教えてもらったので、いい方だったのかな〜と思ってます。(教育モデル校だったからかな、ゆとりも早かったし)
子どもは美術館の入場は無料なのでよく連れて行きました。西洋美術館は大好きだそうです。世の中のお母さんお父さんはこどもとぜひ行ってほしい。子供向けの冊子も配布されてます。
旅行に出かけて絵葉書を買う時に、写真ではなくて、誰かが書いた風景画が大好きです。
そういう絵を一生懸命探してます。
海外だと結構多いんですけどね。描いた人が直接売っていたりすると、興奮してしまいます。あれもアートですよね。
程度の差こそあれですよね!でも、ご自身が、良いと思えば、何でもいいんですよ😅
身
ー😊ー😊
学校で絵を見に行く話で思い出しましたが、シカゴ美術館でカイユボットの大きな絵(パリの通り、雨の日)にたくさん座っていて説明を聞いてました。館内は明るくて、おしゃべりも自由で、ボランティアの説明員が沢山いて、私にもフレンドリーに話しかけて説明してくれます。その時ホッパーのナイトホークスを見ていたのですが、名前はフーパーと言うのだと教えてくれました。
美術の授業で美術館に行くのは本当にやっていただきたいです。
せっかく本物があるのに利用しないのは勿体無いです。公共の美術館ならなおさら。
「演劇鑑賞」を校外でやらない理由と同じ「現実的な問題」がある。
「演劇鑑賞」を小学生が校外の劇場でやろうとしても
「演劇に興味を持たず、さわいだりしてクレーム」で大問題。
したがって「演劇鑑賞は校内で」という歴史がありますが、
美術館なんて、中学生以降はともかく、小学生がおとなしく見るわけがない。
中学生以降も公立校(非高偏差値校)だったらあやしい
浮世絵も陶器の梱包材として使われるぐらいだったんだし(後の美術品)、肩肘張らずとも漫画(客観的観点からも大英博物館で展示とかもされたし)やキャラクターグッズもアートでいいんじゃないかなあ。あといくらいいものでも「認知」されないと誰も買えないよ。
素晴らしいです。今に裏紙に手書きの資料がオークションに出るかも!
ただただ、五郎さんリスペクト!
片付け大切ですね。
仕事柄お手伝いしたくなります。
阿刀田高さんの本を読めばキリスト教もギリシャ神話も、ホメロスも、色々わかりやすく読めます。
既に、50年以上前の話ですが、美術の粟田先生が、OHP (OVER HEAD PROJECTER; 透過型ではなくて反射型)を購入する予算を獲得して、一度だけ、美術画集を紹介してくれたことが有りました。一回だけ。 ーーー 岐阜大学教育学部附属中学校
通っていた小学校は職員室や図書室がある棟に沢山絵がありました。
また見たい、どんな絵だったかな?と思うんですが、入れませんねー!!!悔しい!
音楽もそうですね。
歴史や文化、それこそ絵画なんて何も知らずにみんな弾いています。
いや、それどころか作曲家の人生についても誌面の都合で省略されたプログラムノートの斜め読みで知った気になってる人はいっぱいいます。
昔々芸能人の絵画展で安達祐実さんの「秋刀魚」に惹かれたなぁ美味しそうでした
英語の授業は、ドキュメントを読めるようにするという意味では凄く良い教育だと思う。プログラマやってると痛感する。
見て聞いて、何が刺さるかは人それぞれ。
刺さったあとに、それをより知るための道は、ネットでの検索や質問もあるだろうけど、書籍かなと思う。
(書籍は 当然に出版後のことを知らずに書かれている ー マイルド化前の童話のようなものも見つかるかも)
英語、美術、ついでに音楽も同じだと思う。勉強が必要なのは楽団に入る時に楽器を学ぶのでしょう。音楽を生業にする人は少ないのにね。
難しい用語や評論を前にするとどうしても構えてしまうけれど、基本美術は楽しいものだと思うので、人それぞれ自分のペースで鑑賞したり制作したりする方が、美術の世界はより広がると思う。ルソーみたいな生き方が理想。
公立の市立中学校で、1/3くらい座学で、期末テストが難しかったのはやはり例外的だったのですね。そして、奈良京都への修学旅行前はずっと座学でした。仏像とか伽藍配置とか。。
確かに高校はひたすらほぼ実技でしたね。実技も、高校の方が緩かったです笑 たまげた記憶があります。
バンクシーってわけわからん人ってイメージでしたが、意外と優等生というか堅実なのですね。
お休みなので 昔のアニメ 銀河鉄道の夜(原作宮沢賢治) を 見ております。作品の背景に 強く ルソ-や ゴッホのリスペクトを感じます。一つのリンゴを皆に分けたりするのは 聖書のパンのお話の オマ-ジュで、タイタニックの乗客だった 親子の話し(この鉄道に乗ったものはすべて天に召されるので) に出てくる 讃美歌320(主よみもとにちかずかん)は 沈むまでの時間を 楽団が演奏していた 曲であることを 示しておりました。 賢治の時代 元ネタを 知っていた人は 少ないので たしかに 人気が なかったかも しれませんね。 作者が妹さんをなくしてしまった 体験も 永訣の朝 と 同じく 書く 原点になっているかもしれません。
五郎さんの書斎(書庫)がみうらさんの事務所(倉庫)になってしまいそうで心配です 笑
文字起こし機能を使うと書く手間が省けそうですが書くことで想起されることも多いので無理のない範囲で続けて欲しいです。切り抜きさんも増えて新たな視点で既存の104作を鑑賞してますので更新ペースを落としてもバレないと思います 笑笑
一般人です。美しいとか、凄いなとか、この絵なんだか好きで、鑑賞と、いうか、見ます。私は絵を少し描くので、どういう風に筆を置いてるかとか、色は何でこの色をぶつけるのかとか、見ています。邪道ですかね?
@@いず-k8g 私への質問なのか定かではないのですが…。私的には芸術は個々の感性に任せ楽しむものだと思っています。訪れた美術館や博物館では無名でも好きな作品に目が留まります。中学生の写生会で友人が地面に灰色を乗せていたので驚きましたが茶系より地面らしく見え、才能がある人にはこんな風に見えているのかと芸術家への理解が少し上がったのを思い出します。いずさん、絵が描けるなんて素敵ですね。唯一無二な感性や才能を大切にしてください✨
吾郎さんのチャンネルいつも楽しみにさせてもらってます。
てか切り抜きなのに1:13:13の長時間で盛りだくさんのところいいですね。
ただ「描くのは学校出てからでできるんだから」には異議を持ちました。
日本の学校はよく言えば(好意的にとれば)
「子どもの時しか」「学校でしかできないこと」を優先させています。
「実技偏重」なのは、実技は原則学校(のようなところ)でしか出来ないからです。
最近のダンス必修も表向きの理由はそれです。
この辺は、趣旨を理解した上で批判なり意見を述べてほしいところです
日本は長年美術という概念の伝統がないから仕方がないのかもですが、美術に代表される文化とは守り育てねばいけない、掛け替えのないモノであるという意識が希薄なように思えます。五郎さんのように個人で優れた方はいても、国や国民という大きな単位で見ると暗澹とした気持ちになります。山田玲司先生が「拝金主義になっちゃったのに金がない国」と評していたのは悲しい真実ではないかと。
ブルフィンチの 9:19 ギリシャ神話も、その目的で編まれてますね
7:07 スカイフォールでは、2010年に実際に盗まれたモディリアーニの絵も登場しますよね。
コンセプト「コンセプトがない」がコンセプトです!!って言ったらおちるのかな……
トーハク150周年記念国宝全展示しましたけどつまりあれは年末だから今年はもしや国宝が見られない博物館になってしまう??刀なんて全期展示でしたし……
13:40~ 美術品の価値がわからなければ、価格や世間の評価で判断するでしょうね。まあ、一般の人たちは大体そうでしょうが、それを変えるのは、こういう動画や美術教育なのでしょう。ちなみに、私の子供時代は、写実が上手いことが「絵が上手い最重要要件」でした。
アートだけでなく、事業も一緒かなと思いました。過去〜現在に至る背景理解なく提案されても、却下になるケースが多いのでは?と思いました。し、ビジネススクールでも行かないと、ケーススタディなどの教育もまずないのかなと。
アートのコンセプト。フランス料理の世界と一緒の悩みですね。
美術館のみならず、西洋の美術観と日本のそれとでは、ドダイ違うのでは。
偶々、ヨーロッパでジャポニズムが流行ったからといって、それは、西欧の文脈の中での話しですね。今の絵画のアニメ化をどうお考えかお聴きしたいところです。
デザインフェスタはアートに含まれないんですかね?絵画やってる人いるけど出すところがアート関連じゃないからと言われたらどうしよう?
解答を死とする問い。作者は描いて問い、鑑賞者は作者に問う、時空を超えたコミュニケーション。何を問う?が、例えばこの動画。疑問から賛嘆まで。問う心が生きること。解答が死とは、問いを失うから。作品は貴方に問う。ここに問われる喜びがあり、作品に触れる喜びとなる。芸術の種は、人間にはただ唸りたい時があるから。唸れば良い。または新しい驚きや話題によるひとつの認知欲求ではないでしょうか。非言語的な純粋感覚のコミュニケーション。「もしもし、謎々の時間です」に子供は喜び輝く。
仙台市在住です。
小さな個人の美術館 中本誠司現代美術館で
「15×15」みんなの展覧会が行われてます。
誰でもハガキ大の作品を二千円で出品し
名前なしで出品、購入も二千円、
その収益は美術館の維持に充てるという
企画です。
美術館博物館は貸し切り状態のガラガラの方が好きなので
自治体主催協賛社の村おこしも分かりますが
神社仏閣で拝観料お賽銭をしない人は居ないと思います 子供以外
絵画の歴史くらい写真映画TVネットと同じ主旨の先祖くらいの義務教育での説明は
有ってもよかったと思う
ピカソとモナリザと雪舟の鼠しか思い出せない美術の時間はお絵描きリラックスタイムで
よかったけど高校生には美術史のいろはくらいしてもらいたかったね~正味
まず、絵画を飾る壁がない=スペースがない。住環境とも関係しているのかもしれない。
五郎さんがいつも怒られている人だと良くわかりました🎉😊
新築はデザインしちゃうから絵が必要ない
賃貸は壁を傷つけちゃダメだから飾れない
デザインフェスタ、中野ブロードウェイとかいけばいくらでもあります
アートか 盆栽とおなじだな。何百万もする五葉松もありゃあ、この間夜店でかった三百円のヒョロヒョロの紅葉。スゲー様子がいいぜ。盆栽にコンセプトは無い!
小学校にはいるまえかな?65年くらい前かなお絵かき習ってたけど、点描は自然にしてましたね。ただ水彩でね、好きだったけどちょっとはデッサンの基礎とか油彩の基礎とか教えて欲しかったな。兄は油彩教えてもらってたから80近くになっても趣味でかけるけどデッサンは練習すればうまくなるけどガッシュとかは楽しんでるけど油彩もやりたいですね。父母は日本画描いてたけど若くに亡くなったからほぼ教えてもらってないな。
私はたまたまベルリンで個展とグループ展をやりましたがどこの馬の骨ともわからない自分の作品を買っていきましたしなんと子供が親と一緒に来て自分の小遣いであなたの作品をコレクションしたいからまけてくれないかと言われいいよと言って小さい作品を買っていき一緒に来た友達もぼくはコレが欲しいと言って買っていきました 英語も一緒です ただの言葉ですから喋れても偉くもすごくもなんでもありません
1:09:15
視聴率不払い運動ですか?
視聴料未払い問題なのかなどっちでしょう。
素敵と思えば、それが全て!自分の感性を値段で、評価しないでさ、素敵か否か、だと思う。金銭的に評価しないで自分の心をのっくするかしないかでいいんじゃない?!
あなたの買った作品は、あなたが死んだぁと、価値が出るかもよ…でも、死んだ自分にはほとんど価値はないんだよ!生きてるうち、生活が豊かになれば、その絵はそれで十分だと思います。
わたしにとってどうなの?この絵は?ってことなんじゃないかな?
1:12:20 ジム・ブロードベントがハリポタで演ってたのは「ホラス・スラグホーン」役でしたかね?
言葉と同じように人間にprimitive なら若い頃に絵を描く経験は大事と思います。なくても良いは言い過ぎです。大人になってから描くのとも違うでしょう。
グラフィティーライターやタトゥーアーティストが描いてる絵も買えるし、若い画家さん・学生さんの絵も買えるし、有名人の絵だけがアートではないと思う。
どちらかと言うとそれらの作品と一般社会の人達との接点がなさ過ぎると思うし、欲しいと思ってる人も有名でないものを自分の感性で探して買って飾る、っていう習慣をまず作るべきかなと。
美術館(博物館)の学芸員の待遇改善も必要。
日本の富裕層の美術や芸術の知識や作品の所蔵の価値が
高く評価されていないので、日本でアート界が盛り上がるとは思えない。
行政からの支援金主導の、観光行政やまちおこしと結びついたアート展ばっか。
賢いコンサルの仕掛けた罠が、今の日本に丁度マッチングしているね。
ゲームの世界でもランスロットとかミカエルとかガブリエルとか出てくるんだけど、
西洋の神話の歴史とか知らないとただ単にそういう名前の人で終わっちゃうよね。
東京芸大の教員は最先端の実技家や研究者(=評価できる人)が多数と想像しています(古典芸能でも)。他と違い傑出するために、現在(デュシャン以降と断言)ではコンセプト(の提示)がもっとも重要で、それを叩き込むのは今の専門教育で当然に思います。おそらく入学試験では表現技術を重視しているのでしょう、前段階がどれほど知るために。
日本の場合、家に絵画を飾るスペースがある人が少ないのではないかと思う…応接間のない家も多いし
2023/02/20から個展しますが、 いらして下さいませ。
現代美術の見方は権能から神を作る手法が使えそうだな。ホントはちょっと違うんだが例として「主神」「天空」の権能(美術的にはテーマかな)を日本人が見れば、文化的に「アマテラス」様になり古代ギリシャ人が見れば「ゼウス」みたいなもんかなあ。同じ権能でも文化伝統の下地の影響で全く別の姿が作り出されるという。言葉で説明するの難しい。
博物館の展示についてはスペースの問題もあるんじゃないですかねぇ。全部を展示するわけにはいかんし。展示保存の機材は予算がねぇ…。
やっぱり見る目を肥やす教育が大事
写実が拙い作家が印象の象徴の表現のって、既に名のある作家の技法の模倣で日本の○○とか✕✕と持ち上げて大家に祭り上げてきたのが我が国の作家評価の主流でした。細密や写実は職人仕事で芸術ではないと蔑まれていましたし教育もそれに準じていました。中高時代(昭和期)共に団塊世代の教師は新旧訳の聖書の内容も知りませんでしたが、教本の内容を講義して、宗教主題は大衆の識字と知識が低かった時代の産物と切って捨てました。好きな画家を問われスルバランと答えたら露骨に嘲笑されました、特にいません、が無難な回答でした。
抑々何故美術芸術は制作され展示され鑑賞され売買されるのか。抑々何故それを美術芸術と捉え扱うのか自体を多方面多方向から捉えていない気さえする。美術芸術文化の役割機能自体を必ずしも十分に把握し捉えてるとも思えずにいます。歴史認識の成立と展開、それを踏まえているからこその文脈の成立と受容と展開とも思えるものの、その成立とはかけ離れている気もします。コンセプトは、孕んでこそのコンセプト。技術あってこそと、表現してこそ、それぞれの噛み合わない価値基準がある。価値観の成立が如何に捉え受容するのか自体が振り幅がある。その振り幅自体を十分に捉えきれていない気さえします。
文化庁長官て今、狙い撃ち 作曲者の都倉さんですよね ゴローさんを顧問に据えればいいのに…
上野文化会館に区内の小学生高学年あつめて東フィルだかなんかの演奏は聞いたことありますが、上野いくならなんでトーハクに行かなかったのかわからない。科博は行ったのに。しかも日本では美術館で話をするとおこられるのが、納得できない。ぎゃ~ぎゃ~騒いでるんじゃなく、感想をいいあってて、ちょっとエキサイトして大きめになるとすぐ注意されるし…めんどいから基本一人でいきます。たとえば一日小学生に開放して、ボランティアの美大生とかに説明してもらうとか、やればいいのに…。意外な質問で、美大生も発見あるかもしれない。
枯れた立ち姿の宮本武蔵は、法隆寺の心柱!柔構造の建物と侍の技は同じ。無表情は無拍子、無足。阿吽の呼吸とラテン音楽のベンベクラーベのウンカッカは、同質
見せたくない!わかります。
神社とかでもそうですもんね。酷いと何年に1回目御開帳とか言って。価値持たそうとしてるんですかね?だから興味がその時だけで浅くなっちゃうんですよ。
美術作品/高いもの/買えるもの…
関東地方に赴任していた公務員家族が京の都に帰る。その家族の娘が書いた日記に
「自分で彫った仏像に、物語がほしい と願っていた」という話があったと思うが
(「更級日記」だったかな?)
音楽では20世紀に入って調性から解放されて12の音をフル活用するようになりましたが、それもすぐに使い果たしました。美術でも可視光線のスペクトルと具象の構図を使い果たしたのでしょう。だからコンセプトを求めるようになったのでは?でも美的モードも時々刻々と変化していて若手の作家さん達が瑞々しい「今」の具象作品を発表し続けています。時々、庶民でも購入可能な若手の作家も取り上げては如何でしょう?
なんだぁ〜! 切り抜きだから、もう1年以上前なのね?
映画見れないよ。。。
エンタメや商品は教育の対象にならないってことなのかな
アート売買での収益を非課税にするだけで富裕層が資産として飛びつくので日本のアート市場は活況します(^^)
We have a market by artists in the square at weekends. You have to purchase a stall fee to open your stall.
絵画の本質は情報だ。ドガの踊り子が中野氏曰く怖い絵。それはその時代の記録がしっかり描かれているから。20世紀の絵は全て時代のアダバナ。21世紀は花を咲かせない。トホホ。最終的に技術は裏切らない。名言だ。
英語と美術は同感します。クイーンイングリッシを教えて美術は浮き世を蔑んだ教育に疑問を感じます。
・・ショーン・コネリー以外のボンド中佐って・・ありえないww (*´∀`*)
観る教育、確かに。確かに足りてないわ。
60年前の話ですが、昔の美術の先生とかは、エロだからそういう話は自分でやってくれ!って方々が多かったようなw
価値=金
なんでもホニャララ団の影響もあるかも
文化庁長官ってことは、素人ですね。
展示によって痛む可能性はものによって違うんだから、一律に日数で制限するなんて愚か。
蚤の市がないのが日本の問題か
吾郎さんの説明ってすごく分かり易くって、面白いのでいつも楽しく見させてもらってます。
ただ、一つだけちょっと?と思うのは、
アートは文脈に則ってないとダメってよく言われてますが、
アートの場合は文脈は後から勝手に市場経済に基づいて付いてくるものです。
グラフィティーは無数のいたずら書きが、都市景観を汚す悪者として問題視され、
やがて、街を賑やかに飾る壁画アートと認識され始め、
今は、バンクシーによってメッセージ性のある落書きというアート的文脈が付与された。
最初からアートの文脈には載っていなかったものがやがて文脈に乗ってくる。
つまり、文脈は後付けなのです。
アートは文脈に則ってないとダメって言っちゃうと
あまり文脈から逸脱しない、文脈を考えて当たり障りのない物しかできない。
完全に文脈に沿わない、新しい実験的価値観を創造するのは難しくなっちゃうし、
アートが縁遠く市民生活とかけ離れてしまうと思う。
作品を作る上で売り方まで考えて文脈と言っておられるとは思いますが、
発表したり売る努力はしないといけないとは思いますが、
それができないと、否定的なダメとは思いません。
時間はかかると思いますが、、、
アートという範疇は、後付けで拡大解釈され勝手に後から付いてくるのだから、、
真面目な顔で、アートは文脈に則ってないとダメって言ってはダメでしょ。
戦艦はテメレール
聖書やギリシャ神話の逸話って学校で教わらなくても自分から求めてたもんだけどなぁ。
知らないと恥ずかしいからなんだけど。
だって知らないと???ってなることだらけなんだよこの世の中って。
芥川賞作家先生の回で、せめてブルフィンチ位は読んどけよなって思いませんでした?
美大出身なので一般人がすぐアートアート言う事に心底辟易します。素晴らしい芸術は必ず技法と歴史を踏まえており過去の作品を超越するから素晴らしいのです。絵が描けるというのは最低限必要な能力でそこに作家の論理と視座と文脈が現代美術を理解する上で必要です。それを鑑賞者が理解するためには過去の美術作品を沢山見て社会を観察して常にインプットしておく必要があると思います。私は美術作品を見る事は最もコスパの高いエンタメだと思っています。美術鑑賞は長いこと心に残り数年後答えが分かったりします。1000円程度払えば好きなだけ鑑賞出来て数年に渡り楽しめます。こんなにコスパの良いエンタメないっすよ。
なんか、うるさい!この人!
今時1000円は大金。絵を見るのに金をかけるべきでな無い。ネットで只で観て充分満足出来る。
アートってそんな構えるものですかね?
外科の世界でアートって使いますが、ちょっと意味が違いますね
冒頭の一行が余計なんだけど、そこが本音なんだろうなぁ。
何だよ「一般人」って。
君は何人なの? 「俺は分かってる特別な人」だとでも?
言ってること全部否定する気もないけど、そんな狭い了見をもって文化全般の定義を勝手に語らないでほしいよね。
@@ymsksny少なくとも美術においては私たちが一般人で彼ら美術学生がその対になる者でしょう。それは間違いなく正しい。
2:00
「なんだろ・・この・・・無駄さ加減」。今時の美術館のイアフォンで聞く解説にそんなのありません? 以前は絵画の脇の長ーい説明文をしっかり読んで、チラッと作品を見て過ぎて行く人が結構多くて、「何を見に来たんだろ?」と不思議です。
目垢😂
良くアートのイベントやってますから、デザ〇ンフェスタとかで学生も手軽に手にすることができると思う。
質問のアシスタントさん(?)が今回はちょっと、あれ~で。ごめん🙏
せっかくの五郎さんのいいご説明が引き出されず残念。
ちょっと一般的な基本的知識が欠如。男性の方。
ワダさんはいつもそういうキャラで言葉少なでいいのですが。
男性の方、饒舌なわりにかなりモヤりますわ。ファンとして聴く方としては。すみません。単なる感想です。
この番組のスタッフは絶望的にアートと縁遠い人たちなんだね。あ~とか、う~とかのリアクションしかない人たちと五郎さんが必死に会話しようとしているのが哀れに見えてくる。
わたしは山下達郎と小椋佳は思わず「詐欺師!」と叫んだ。😮わかんねえだろうなあ…。
フーン…ってw少しは自分で考えて自分で調べれば?チョット聞いててイラッとします。
人任せで知りたいってwそれは興味がないんじゃんww
どこか教育が悪い、政府が悪いとか他人の所為にしてばかりに感じる。
方法論としては間違いではないがそれが一番日本の文化が一般に馴染まない原因では無いか?もっともっと色々な本を読んで人生を豊かにすればいいと思う。
美術のチャンネルだが幅広く読書をして知識の幅を拡げることが大事だと思う。
面白くない?アニメだって主人公とか武器のネーミングとかは色々な神話伝説から取られているものは沢山ありますよ。
オイ!五郎!、アートに関しては、最低でも東京芸大か、最悪愛知芸大を卒業してから喋ってくれよ!、上智卒ってなに?てめえ其の学歴で芸術云々抜かすのか!